遠流の地

隠岐が遠流の地と定められたのは聖武天皇が即位した724年で、江戸中期になって一般の罪人が3,000人ほど流されるようになるまでは天皇や公家、役人などの政治犯が配流となっていました。隠岐に流された著名な人物には、鎌倉時代に権力闘争に破れた後鳥羽上皇や後醍醐天皇、そして平安時代の官僚・小野篁などがいます。
隠岐が遠流の地となったのは、都から遠く離れているというだけでなく、島での生活に問題が少ないためでもありました。流された貴人が飢えたり、生活に危険を覚えたりするような場所ではだめだったのです。その点、隠岐は離島でありながら作物豊かで、黒曜石にはじまる歴史のあることが選ばれた理由のひとつであったと推測できます。