人の営み - 神社
隠岐国の総社である玉若酢命神社(たまわかすみことじんじゃ)の祭神は、神社の名の通り玉若酢命で、江戸時代の隠州視聴合紀(いんしゅうしちょうがっき)によると天武天皇の勅 命で創建された説や、景行天皇第の五皇子の大酢別皇子(おおすわけのみこ)が祭神の説などありますが、隠岐開拓の祖神であると考えられています。
総社とは、平安時代中期、国司が祭祀する各地域の神霊を国府に近い場所の神社を総社と定め、年に一度、国中の神様を集めて祭祀を行なう制度です。この場合の国とは大和王権が支配する地方の国々の事です。総社制度が始まる前は赴任した国司は全ての神社にお参りしたといいます。古代隠岐の国府に近い当社に、総社の資格を与えられたものと思われます。また、『甲野原(こうのはら)』は元々『国府尾原(こおのはら)』で、このことからも国府の所在地であったことがうかがえ、神社の向かい側のあたりだったと推定されています。
本殿は出雲大社の屋根は大社造り、間取りや柱の建て方は伊勢神宮の神明造りを、手前の向拝と呼ばれるヒサシの部分は春日大社の春日造りを取り入れた隠岐造りと呼ばれる独特の神社建築です。また、千木の間と鰹木の上に渡してある丸太を雀踊りやカラス停まりと言い、こちらも独特の建築様式を持っています。代々宮司を務める億岐家(おきけ)の初代『十挨命(とうえのみこと)』は古墳時代、応神天皇の御代に隠岐に遣わされた国造とされ 50 代以上も続く家で、およそ 200 年前の億岐家住宅は国の重要文化財に指定されています。