由良比女神社

『続日本後紀(しょくにほんこうき)』に仁明天皇承和九年(842 年)九月十四日の条に、「隠岐国智夫郡由良比女命神(おきこくちぶごおりゆらひめのみことのかみ)官社
にあずかる」と記されている古社です。平安時代の延喜式では、名神大社に列せられ、島後の水若酢神社と共に隠岐一宮とされています。古来は外国に使節を出す場合や外悪がある際に祈願されていました。
寛文七年(1667)藩命によってこの地を巡見した松江藩士斉藤豊宣によると「極めて小さく古くて人々からも忘れ去られている」とあり、近世には、すでに衰微していたものと思われます。明治になって、その由緒から、社殿を新築して、現在の規模になりました。本殿は、春日造変態で、向拝唐破風、俗に枡形明神造です。拝殿・幣殿・本殿と繋がった形が美しく、隋神門には随神の像が安置されています。
現在は、社名から「由良比女命」を祭神としています。927 年にまとめられた『延喜式』の延喜式神名帳には「元名和多須神」とあり、そこから祭神は海童神ともいわれています。
神社の前の海に建つ鳥居のあたりは浅い入り江になっていて、イカの大群が押し寄せてくるので有名でイカ寄せの浜と呼ばれています。昔、由良比女様が、大きな桶に乗って遠い海からこの由良の地にやってきました。その際に手で海水をかき分け、この浦に向かって来られる途中、イカがその手に戯れて、引っ張ったり噛付いたりしたと言われています。そこで、この無礼を詫びるために、毎年秋になると、イカの大群が神社正面の浜辺に押し寄せるようになりました。地区の者は、これを由良比女様の霊験と言って喜び、水際に小屋を建て、家族総出でイカをすくい捕りました。
一説に、この神社は神武天皇の頃、イカを手に持って大きな桶に乗り、鳥居の近くの畳石の所に現れたともいわれています。また一説に、この神様は須勢理姫命で、大きな桶に乗って浦郷に来られる途中、海水で手を洗ったところ、イカが戯れて神様の手に触れたので怒られたのだともいわれています。毎年10月29日、由良比女神社の祭りの日には「神帰り」という御座入神事を行いますが、このときイカが入り江に寄って来るのを「神帰り」と呼んでいます。俗にこの神様のことを「鯣大明神(するめだいみょうじん)」というのも、こうしたイカとの関係があったからです。